🐾母と子の時間

ニンゲンたちのゴタゴタ
スポンサーリンク

旦那の母親と、弟夫婦が島にやって来た。三女はちょうど本土へ帰省中。

弟夫婦はホテルへ。
母親は、我が家に宿泊。

聞けば、母親がこの島に来たのは、19歳の頃。
まだ父親と結婚する前のことだったという。

「あの旅館に泊まったのよ」
「あの灯台の手すりに名前、刻んだ」

島をめぐるたびに、母親はぽつぽつと昔の記憶をこぼしていた。
旦那にとっては「知らなかった父と母の時間」を追いかける、不思議な旅になったようだ。

でも、ワシ(猫)が見ていたのは、家の中での“時間”だ。

久しぶりに、母と子が数日間、ひとつ屋根の下で過ごす。
それはちょっと特別で、ちょっと息が詰まる時間でもあった。

母親は、今は透析治療を受けている。
だから長くは滞在できない。
けれど、その短い時間が、なんとも濃かった。

階段を下りる母の足元を支える旦那の姿に、
ワシは押し入れから、そっと目を細めた。

かつて元気だった頃の母の姿を思い出すたびに、
何とも言えないもどかしさが、旦那の肩に乗っているようだった。

離れていれば、心配がつきまとう。
一緒にいれば、気を使ってしまう。
「面倒だな」と感じてしまう自分に、また罪悪感――

人間って、ほんと、めんどくさい生き物だ。

ある晩、島の知人が母のためにごちそうをふるまってくれた。
その席で、母親はふと目元を押さえた。

「こんなにしてもらって…ありがたいねぇ」

その様子に、旦那もしばらく言葉を失っていた。

旦那の暮らしぶりや、人とのつながりが、第三者を通して母に届いた瞬間。
母は、少しだけ肩の力を抜いていたようだった。

親子って、まっすぐには向き合えない。
でも、ちゃんと想っている。
面倒でも、大切。言えなくても、伝わっている。

母と弟夫婦は島を離れた。

にぎやかだった数日が終わり、
ふたたび、いつもの暮らしに戻る。

朝、ワシが空の皿の前で「にゃあ」と鳴けば――
「カルカン18歳から」は、いつものように出される。

島の時間は、今日も変わらず、
ゆっくり、アナログに流れている。

タイトルとURLをコピーしました