同居の三女は、極端に人の目を気にする。
「できれば、誰の目にも止まりたくない」が口ぐせ。
「透明な存在でいたい」というのが理想らしい。
…ネコか?
原因は、前の高校でのつらい経験。
授業中に起立して指され、ちんぷんかんぷんの回答をしてしまったとき、
クラス中に「はあ?」「何言ってんの?」とサラされたという。
何度も。繰り返し。
あれはもう、心の地層にめり込んでいるらしい。
だから、「目立ちたくない」「先に出たくない」というのは、完全なる防衛本能だ。
でも、これ、三女だけじゃないっぽい。
旦那が以前、大学で准教授をしている友人に頼まれて、
学生向けにゲストトークをしたことがあるらしい。
授業前、その友人が念押ししてきた。
「頼むから、学生をあんまり当てないでくれ」
「あと、発言しても、ぜったい褒めないでくれ」
なにそれ!?と聞き返すと――
「発言した学生が褒められると、周りから“あいつ、出しゃばり”って目で見られるから」
「“目立たないように努力してる”学生もいるんだよ」
なるほど、陰の努力の時代である。
そのとき紹介されたのが、『先生、どうか皆の前でほめないでください』という本。
副題は「いい子症候群の若者たち」。
――人に迷惑をかけない
――場の空気を読みまくる
――「いい子」でい続けることが最優先
――だからこそ、ほめられると浮く。むしろ、いじめのリスクになる
…そういう時代。
どうやら今は、「自己主張」よりも「自分の輪郭を消す技術」のほうが重視されているらしい。
ワシは押し入れで消えてるから、その技術ならけっこう自信あるけど。
でも思うのだ。
褒められたくないわけじゃない。
目立ちたくないわけでもない。
ただ、「安全な場で、安心していたい」だけなんじゃないか。
それが今の子どもたちの「生きる術」だとしたら、
大人がすべきなのは、「無理に引っ張り上げること」じゃなく、
「押し入れの隣にスペース空けてあげること」なのかもしれない。
まあ、ワシの押し入れはすでに定員オーバーなんだが。