今日の旦那、なんか静かだ。
朝のコーヒーを片手に、ぼんやりと空を見上げる背中。
どうやら昨日、島の中高生による弁論大会を聞きに行っていたらしい。
「……なんか、せつないな」
そんなひと言をぽつりと漏らしていた。
ある中学生のスピーチが、心に引っかかっているようだ。
テーマは、「人と関わることの難しさ」。
友人とのすれ違い、
思わず口にした一言で生まれるもやもや、
自分の中に湧く感情の渦。
そして、それに気づいてしまう苦しさ。
…すごく正直で、まっすぐで、どこかぎこちない。
でもその中に、ちゃんと「前を向きたい」という気持ちがあった。
「それでも僕は、人と関わりたいと思っています。
少しずつ、自分を見つめながら。
相手のいいところを見つけながら」
そんな風に、彼は締めくくったそうだ。
スピーチの内容自体は、ごく普通のように見えたという。
だけど、その後で知った。
その子には、両親がいないということ。
今は、祖父母と暮らしているらしい。
彼自身は、そんなことをひと言も語らなかった。
語らなかったからこそ――
「まだ、自分の境遇や言いたいことに、たどり着けていないのかもしれない」
そんな切なさが、言葉の隙間からにじんでいたのだろう。
人には、見えない荷物がある。
語れない背景がある。
その中で、言葉を選び、
誰かに何かを伝えようとする姿――
それは、未熟だけれど、まっすぐな道の途中。
朝。
ワシが空の皿の前で「にゃあ」と鳴くと、
旦那はちゃんと「カルカン18歳から」を出してくれた。
「よし。今日も、ふらふら活動、始めるか」
――ふらっと、でも確かに、
人は何かとつながろうとしている。
その営みが、きっとすこしずつ、
見えない壁を、やわらかく溶かしていくのだと、信じたい。