🐾奥にある「声なき言葉」

ニンゲンたちのゴタゴタ

今日の旦那、なんか静かだ。

朝のコーヒーを片手に、ぼんやりと空を見上げる背中。

どうやら昨日、島の中高生による弁論大会を聞きに行っていたらしい。

「……なんか、せつないな」

そんなひと言をぽつりと漏らしていた。

ある中学生のスピーチが、心に引っかかっているようだ。

テーマは、「人と関わることの難しさ」。

友人とのすれ違い、
思わず口にした一言で生まれるもやもや、
自分の中に湧く感情の渦。

そして、それに気づいてしまう苦しさ。

…すごく正直で、まっすぐで、どこかぎこちない。

でもその中に、ちゃんと「前を向きたい」という気持ちがあった。

「それでも僕は、人と関わりたいと思っています。
少しずつ、自分を見つめながら。
相手のいいところを見つけながら」

そんな風に、彼は締めくくったそうだ。

スピーチの内容自体は、ごく普通のように見えたという。

だけど、その後で知った。

その子には、両親がいないということ。
今は、祖父母と暮らしているらしい。

彼自身は、そんなことをひと言も語らなかった。

語らなかったからこそ――
「まだ、自分の境遇や言いたいことに、たどり着けていないのかもしれない」
そんな切なさが、言葉の隙間からにじんでいたのだろう。

人には、見えない荷物がある。
語れない背景がある。

その中で、言葉を選び、
誰かに何かを伝えようとする姿――

それは、未熟だけれど、まっすぐな道の途中。

朝。

ワシが空の皿の前で「にゃあ」と鳴くと、
旦那はちゃんと「カルカン18歳から」を出してくれた。

「よし。今日も、ふらふら活動、始めるか」

――ふらっと、でも確かに、
人は何かとつながろうとしている。

その営みが、きっとすこしずつ、
見えない壁を、やわらかく溶かしていくのだと、信じたい。

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